恋愛心理学 (31)

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タダほど怖いものはない?

「これあげる。気にしないでいいから、もらってよ」 そう言われてプレゼントを贈られた時、あなたならどう感じます?本当に相手の言うとおり「気にしない」でいられますか? 多くの人は、そうは感じないと思います。 相手との関係、たとえば友達や家族だったら、本当に気にしないでいられるでしょう。 「何だかよくわからないけれどもらえるものなら……」 などと受け取ることが出来ると思います。 けれど突然、友達でもない異性にそう言われたら、どう感じるでしょう。 素直にありがたい、嬉しい、とは思いにくいのではないでしょうか。 何かを買うと必ずその代金が必要になりますよね。 それと同じように、人は無意識のうちに何かを与えられれば、手に入れれば、それと同等の物を自分からも提示しなくてはならない、見返りが必要になる、と考えているのです。 だから、「無償で」と言われても、それを素直に受け入れることができず、代償を払わないことにかえって気持ち悪く感じてしまうのです。 「そんなうまい話はない」 「何か裏があるはず」 と、勝手に疑ってしまうのですね。 異性からだと余計に、 「何か下心があるんじゃないの?」 と思ってしまうわけです。 だから、気になる相手に不用意にプレゼントをするのは考え物。 何か贈りたい物があるなら、相手を警戒させないような理由が必要になります。 「代償がなければ気持ち悪い」と感じるのは、何も恋愛関係に限ったことではありません。 安すぎる物にはかえって手が出しづらいのはそのせい。悲しい習性ですが、人はそうやって自分を守っているのかもしれません。

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高価なプレゼントはうれしい?

好意を示されると、人は同じく好意を相手に返すという心理法則、「好意の返報性」。この法則を使えば、自分の気持ちを誰よりも先に伝えることで、相手にとって特別な存在になり得るなどの利点があります。 ですがこの法則、ちょっと厄介な一面も持っています。 それは、プレゼントを贈られる時に働いたとき。 ではプレゼントを贈られたときに「好意の返報性」が働いたら何故厄介なのでしょう? それは、もらったプレゼントに対し、同等のプレゼントを返さなくてはならないという意識が働くから。 自分に見合った、自分でも同等のプレゼントを返せる場合は、何の問題もありません。素直にプレゼントを、それを贈ってくれた相手の好意を喜ぶことができるでしょう。 けれど、もし自分には見合わない、自分では到底同じだけの物を返せないという高価なプレゼントをもらった場合は? それはもらった人にとっては重荷になってしまうのです。 贈る側は好意のしるしとしてあげたものでも、むしろ好意のしるしとして贈ってくれているとわかるからこそ余計に、贈られた側は贈ってくれた人に対し申し訳なく思ってしまいます。これは、相手の好意に対して同じものを返したくても返せないから。 相手の好意に対して同じ好意を返したいというのは、まさしく「好意の返報性」。善意の贈り物が相手にとってはプレッシャーになるのはこの法則が原因なのです。 相手に好意を示すために、金額を吊り上げて贈り物をすることは簡単かもしれません。ですが高すぎる贈り物は逆に心理的に敬遠されるということを頭に入れて、その人に合った物を贈るようにしましょう。高すぎるプレゼントはかえって相手を遠ざけてしまいますよ!

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好きにはすきで返す

「好意の返報性」という心理を知っていますか? 難しそうな言葉ですが、実はその内容は実に単純。 「人は好意で接してくれる人に対しては好意で返そうとする」という心理なのです。 ちょっと考えてみましょう。自分にとても親切にしてくれる人がいます。そういった人に嫌な感情を抱くでしょうか? 以前親切にしてくれた人が困っていれば、 「余計に困らせてやろう」 という悪意よりも、 「今度は僕の方が助けてあげないと」 という好意の方が働きやすいと思います。 これが、好意の返報性。 自分のことを思ってくれる相手に対して、人は好意的に思います。それは人がそれぞれ認めてもらいたい、評価してもらいたい、という欲求を持っているから。 では好意の返報性について知った上で、もう一つ考えてみてください。 人から「好きだ」と真剣に告白されたら、告白された人はどう思うでしょう? 既に嫌悪感情を抱いている相手から言われても、それは嬉しくないかもしれません。でも、たとえば既に少しでも好意を持っている相手だったり、別に好きでも嫌いでもない相手だったりから、心の底から「好き」と言われたら? 好意の返報性から考えると、勿論、返ってくるのは好意のはず。 好きという感情は、その人を認めるということ。認められたいと思う欲求を、見事に満たしてくれる言葉となります。つまりその言葉を与えてくれた人はその時点で「特別」な存在になるのです! もちろん、何人も何人もに「好き」といわれている相手に対して言っても効力は弱まります。誰よりも先に言うことで、「特別」の度合いは増すのです。

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ひとのなわばり?B 個体、社会、公衆距離

他の動物と同じく人にもあるなわばり。とあるアメリカの学者は、ひとのなわばりについて8つの区域に分類して考えました。 家族や恋人以外には入ってほしくないなわばりの距離について「密接距離」といいますが、ひとのなわばりは他にも次のような区分に分かれます。 ・45~75センチの距離 個体距離の近接相、と呼ばれる距離です。 実はこの距離、非常に微妙でもどかしい距離。 近すぎることもないですが、手を伸ばせば確かにそこにいる相手には届きます。 この距離が示す関係ももどかしく、じれったいもの。 恋人なのか、友人なのか。 その境目の、微妙な関係を示す距離なのです。 逆に言えば、この距離まで許してくれたら脈ありということ。今後の駆け引きが重要な距離ともいえます。 ・75~120センチの距離 個体距離の遠方相と呼ばれます。 この距離は、一般的に友人同士が取る距離。お互いに手を伸ばせば相手の指先に触れる距離がこの個体距離・遠方相です。 友達ならば入ることの出来る距離ですので、この距離にすら入れてもらえない人はちょっと考える必要があるかも。 ・120~210センチ 密接距離、個体距離と違って、身体的な接触は出来ません。これが社会距離の近接相です。 この距離感を保った状態で人を見下ろすと、最も怖い、最も威圧感がある、といわれています。 ・210~360センチ 社会距離の遠方相です。 同じ部屋にいても、別々に行動が出来る距離です。 職場などで、仕事上の話をするときに用いられる距離です。親しい間柄とは言えない、表面的な付き合いをする距離と考えられます。 ・360~750センチ なんとか自分と相手の二人でコミュニケーションを取ることのできる距離で、公衆距離の近接相といわれます。 この距離を超えると、二人でコミュニケーションをとることは難しくなります。人と人が一対一でコミュニケーションをとるためには最低限この距離以内にいなければなりません。 ・750センチ以上 公衆距離の遠方相です。 人の縄張りとしてもっとも本人から遠い位置にあるこの区域ではもう一対一で会話をすることなどは不可能と考えられます。 この空間にしかいられない間は、とても恋愛関係に発展することはなさそうです。 この8つの縄張りを参考に、気になる異性や恋人との関係をはかるために自分のことをどの区域にまで入れてくれるか試してみても良いかもしれません。

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ひとのなわばり?A 密接距離

ひとにも他の動物と同じようになわばり意識があります。 といっても、明確に「ここからここまでは俺のもの」などと意識しているわけではありません。感覚的に、ある一定の距離の中、つまり自分のテリトリーの中に入られると、理由もわからず嫌な気分になったりするのです。 その「侵入されると気持ち悪い」と感じる距離は、二人の関係性によって変化します。アメリカの学者は、そのひとのなわばりについて8つの区域に分類して考えました。 ・0~15センチの距離 密接距離、と呼ばれる非常に近い距離の中でも、さらに近い近接相と呼ばれる空間になります。 0、すなわち相手に触れることすら許すというのは、非常に仲の良い証拠。 この距離では相手のにおいだけでなく体温さえも感じることが出来ます。これは家族や恋人など、非常に心の通った相手にしか許されない距離だといえます。 ・15~45センチの距離 相手と非常に近い距離になります。 けれど密接距離の近接相とは違い、相手に触れることは可能ですが、手を伸ばさなければ届かない距離になります。 この距離が密接距離の遠方相です。 近接相の場合とは違い、家族や恋人以外の人でも入れますが、入られた側は意味もなく気持ち悪く感じます。親密度が高くないのにもかかわらず親密な人しか入れない「なわばり」に入られたことによってストレスを感じているのです。 この「密接距離」に入れたら、相手はあなたにかなり強い好意を抱いている、ということになります。

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